☆☆☆ 人物を育てる ☆☆☆

最近「人物」といわれる人が少なくなったようです。 「人物」という言葉もあまり聞かなくなりました。
雑誌や書籍でも「人材」や「人財」という言葉が目につきます。 行徳哲男先生も「広さばかりを求めて、深みがない。」と話されていました。

明治維新や戦後の復興の時期には、「人物」と呼べる人が排出されました。 現在の学校教育は理性教育で、頭の良い人間をつくっています。 「人材」という人間の評価は、何かの役に立つ手段としての人間の価値を意味しています。

「人財」と変えて、大切に取り扱われても最終的には、 資本主義経済では、資本を増やし金銭を稼ぐための手段として使われる人間のことです。 金を稼ぐことができない人間は役立たずであり、価値がないと判断されて人材とは言われません。 資本主義経済は金銭を無限に増やしていくことを目的とする経済活動です。

だから人間はそのための手段として、金銭のために働き、金の奴隷とならざるを得ません。 人間は何かの材料であってはならず、 人間が目的であり、すべては人間のためにあるものと考える必要があります。 
 
「人材」とは、能力において優れた人間のことで、 「人物」とは能力と人間性において優れた人間のことです。
 
能力や理性は、使い方によって善にも悪にもなります。 人物を育てるためには、理性を高度に成長させることも大切ですが、 その理性を使う人間性を磨き育てることがもっと重要な課題なのです。

人間は生まれたときには、動物学上の人類として生まれ、人格はありません。 人間は生まれてから後に「人間の格」を獲得して人間になります。 人間性は生まれてから後に何を教え、いかに育てるかによって決まります。
 
人間の格をつくるための基本原理は3つです。
1.不完全性の自覚からにじみ出る謙虚さを持つこと(謙虚さ)
2.人間としてもっと成長したいという成長意欲を持つこと(成長意欲)
3.人の役に立つことを喜びとする暖かな心を持つこと(愛)
 
これだけでは人間の格はあり、人間性の基本はできでいますが、まだ「人物」とは言えません。 人間の格をもって、次に現実を生きるための人間力を磨き、さらに人格を磨くという努力が必要です。

人格には、「高さ・深さ・大きさ」という3つの次元があります。
人格の高さをつくり、 人格の深さをつくり、 人格の大きさをつくる 努力をすることで人間性を成長させること。 そして命の痛みを伴った体験と経験を積み重ねることによって人間的魅力を成長させることで大人物となるのです。
 
「風の思い」より